短編/二人の卒業式

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設定時期:高3の3月(入院中) 蒼い月光の夜想曲「sister crown」の頃の話

卒業式ってどんなの。

何も知らない彼はそう言いながら、黒塗りの証書丸筒を覗きこんだ。その中にまるで夢のような何かが入っているかのように、興味深げに。

「楽しくない先生の長いお説教聴いて、証書もらったら終わりだよ」

相羽勝行は丸筒の中にある彼の証書を抜き取ってやりながら、つまらなさそうに回答した。そんな彼の制服袖口のカフスボタンは、左右どちらもなくなっている。

「お前、制服のボタンどうかした?」

いつもならきちんと所在するものが見当たらず、今西光は不思議そうに勝行の腕を取った。千切れたような、糸くずの跡がそこにある。ああ、と疲れたような仕草を見せながら勝行はその袖をみやった。

「何がいいのか分らないけど、卒業したらボタンくれって言う人が多いんだよね」

「ボタンを?なんだそれ……自分の予備用か」

卒業式に女の子たちがこぞって好きな男の子のボタンを奪い合う儀式は、それこそ古い戯言だと思いたいが、そうでもなかったらしい。男子校の卒業式でそんなことはありえない、とどこかタカをくくっていた勝行は、式から出た途端、外で待ち構えていた他校の女子たちに取り囲まれ、瞬く間にそのボタンやネクタイ、制服のあちこちを根こそぎ引き千切られたのだ。

そんなことに何の意味があるのか全く知らない光は、自分なりの用途を思考して首を傾げる。

よく見ればいつも身なりをきちんと整えているはずの勝行とは思えない、随分くたびれた制服姿だ。

まさか、と光は思わずサッと顔を青ざめる。

「おまえ、何か悪いヤツにでも襲われたのか」

専属SPがついていながら、一体どういうことか。こんなによれよれになった制服姿の勝行なんて、滅多にないことだ。ベッドから飛び起きて勝行の襟元に掴みかかった光の表情は緊迫したものだった。思わずその手を取り、大丈夫違うよ、と勝行は穏やかな笑顔で応えた。

「卒業を祝ってくれたファンの女の子たちに、身を挺してサービスする慣例行事だから」

「……それも、卒業式なのか?」

「少し違うけれど、まあそれに関連した事かな」

「俺、行かなくてよかった……」

心底ほっとした顔をして胸を撫で下ろす光を見て、勝行は思わずふふっと自然に笑い声を漏らした。

「そうだね、光が犠牲にならずに済んだから、俺もほっとした」

正直、今時学ランでもないのに、ボタンなんか欲しがるもんなんだなと、勝行も驚いていた。ボタンどころか服をくれとまで言われ、追剥かと思った程だ。

そういえば中学でも似たようなことになったな、と三年前を思い出しながら、勝行はボロボロになった制服のブレザーを脱ぎ、ベッドにぎし、と音を立てて腰かけた。

 

「女の子ってこういう時怖くなるね。途中で片岡さんに引きずり出してもらえたけど」

「お前、首んとこなんか怪我してるぞ」

「え?」

「血、出てた跡がある」

そんなに?

確かにボタンやネクタイをくれと言いながら何人かは無遠慮に身体中を触りまくってきたし、ネクタイは引っ張られて争奪戦になった。首が痛くて苦しくて、喧嘩しないでくれと懇願して、SPの片岡の手を借りて這い出てきた程だった。女の子に暴力をふるうことだけは避けたかったから、欲しいと言われたものを放り投げてただ逃げるしかできなかったが、光に言われて初めて自分が負傷していることに気が付いた。カッターシャツに重なる部分だったから、片岡にも気づかれなかったようだ。

爪で引っかかれたようなミミズ腫れの跡に付いた薄いかさぶたを見て、光は心底嫌そうな顔をした。

「女子とのバトルなんだな卒業式って」

「いや、これは式とは関係ない気が……」

言い終わらないうちに襟元を掴んだままの光の舌が、勝行の首筋を這うように転がる。その感触にゾクリと悪寒を走らせ、勝行は思わず声を詰まらせた。

「……っ」

熱の籠った舌で優しく撫でられ、その熱い吐息が首筋を抜けていくのが堪らない。何も意識していなかっただけに、勝行の身体も一気に火照り出す。しかし、仕掛けてきた当の本人は何を考えているのか、舐めるだけ舐めてすぐにその身を離した。

「なに……」

「首の怪我は舐めとくと消毒代わりになるんだろ?」

 

お前が教えてくれた事じゃねえか。

 

口を尖らせながら呟く光を見て、勝行の頬は更に紅潮する。

かつて自分が口から出まかせを言ってごまかした愚行を、しっかり光の脳内で学習、インプットされていることに眩暈すら覚えた。しまった、と思うも、間違ったことを教えたとは言えず、思わず苦笑しそうな口元を手で覆って隠す。そんな勝行の気持ちを知ってか知らずか、光は勝行の胸元に頭をポスン、と凭れて吐息を漏らす。

「女に引っかかれた傷なんて、ザマアミロって言いたいけどな」

まだ熱の引かないその身体は、その頭越しにも伝わってくる。自分の胸元でゴホゴホ、と咳き込み出した光の背を慌ててさすりながら、血なんか舐めるからむせたんじゃ、と心配を露わにすると、辛そうに浅い呼吸を繰り返しながらゆるゆると首を横に振った。

「……俺、も……いきたか、った」

息苦しげに言葉を紡ぎながら、光が呟いたそれは、勝行が思っていたこととは随分違った。これまで学校にさほど興味を示さなかった光には、学校行事に参加したかったと言うほどこだわりも執着もなかったからだ。IMG_20160327_0002

「……卒業式?」

「……」

咳をするたびに痛む胸を掴んで押さえつけるも、暴れるベッドの揺れに耐えきれず、黒塗りの丸筒がカラン、と音を立てて転がり落ちた。拾う事もせず、残された紙切れの卒業証書を光は黙って見つめていた。

 

最近、光がふさぎ込んでいるのは勝行も知っていた。

何に思い悩んでいるのかは、まだ言葉にならないようで、表に出してこないから分らない。言いたくなったら突然話すか、ピアノにその感情を全部ぶちまけてしまう光は、わかりやすいくらいその感情が筒抜けだ。ここのところずっと、寂しげな音を奏でるそのピアノは、飼い主に置いて行かれた子猫のような、しょんぼりとしたメロディが多かった。

ただ座っているだけの式典なんか、無理に参加しなくても別にいいじゃないかと言って慰めてやればいのだろうか。
しかし、彼のこれまでの生涯において、一度も卒業式というものを体験しなかったのだということに気づいた勝行は、丸まった背を撫でながら耳元で小さく囁いた。

「Congratulations on your graduation.How does it feel?……」

「何……」

「お前の卒業式」

咳がようやく収まり、落ち着いた呼吸の中で光は勝行の顔を見上げた。

座る時だけ、ほんの少し自分より低い位置にいる光の不思議そうな瞳を見つめながら、勝行は校長先生の有り難い言葉の如く、堅苦しいあいさつ文を英語でさらっと述べていく。

 

I knew you could do it and I am proud of you.……You have not only graduated from high school, you have graduated into adulthood. Wishing you the best things in your future to come.

君ならできると知っていた。君は僕の誇りあるパートナー。

高校を卒業したということは、またひとつ大人に一歩近づいたという証拠。

君の未来が最高にすばらしいものになりますように……

祈り、伝える。

 

「卒業しても、俺はお前の隣でずっと歌い続けるよ……大人になっても。いいよね?」

穏やかな笑顔で光に卒業証書を手渡す勝行の瞳には、一点の曇りもなかった。

クリアに晴れたその言葉に、光も笑った。

 

卒業しても、俺たちは変わらないよ。

この先二人の進路が違ったとしても、俺たちWINGSは何も変わらない。

 

高校生バンド、WINGSが、高校生ではなくなった日。

そう言った勝行に遠慮なく抱きついてキスをしてきた光の唇は、熱く蕩けるホットチョコレートみたいに、温かった。

 

(初出:Twishort 2016.3.27)